笑顔ツアーについて

突然、難病と診断された父

<笑顔ツアー>立ち上げたきっかけは最愛の父の病気です。
父は65歳の時に<進行性核上性麻痺>と診断されました。
有病率は10万人に1人という難病です。
父は発病の数年前までスポーツジムにも通っており、トレーニング中に膝を痛めた事がきっかけとなり歩行する際に、転びやすくなったり足の色が黒く変色したりしていました。
通院していた整形外科では『膝に水が溜まっている為、血液の循環が悪く変色している。』との診断でした。
けれども、病気が進行していくにつれて、認知症のような症状が見られるようになりました。
そこで、念のために脳外科に連れて行ったところ<進行性核上性麻痺>と診断されました。原因不明の難病です。

<進行性核上性麻痺>とは

<進行性核上性麻痺>とは脳の特定の部位の神経細胞が減少し、転びやすい、下の方が見にくい、認知症、しゃべりにくい、飲み込みにくいといった症候が出現する疾患です。
発病時には、パーキンソン病とよく似た症状が出る為区別がつきにくい病気です。
この病気は徐々に進行し、最後は寝たきりになります。
父の病状は<転びやすい>という症状の後は<性格の変化>に現れて来ました。
それまでは、明るく朗らかで、テキパキと仕事をこなす父でしたが、ある時から、怒りっぽくなり、わがままを言うようになりました。
父と母との記念旅行の海外のハワイのマウイ島でその症状は顕著に現れて来たのです。ただ、旅行の時点では私達は父が病気で有ることは全く知りませんでした。
旅行先での父は、母が父と一緒に乗る事を楽しみにしていたさとうきび列車を、その場になって、『乗りたくない。』と言い出しました。
理由は『昔、乗ったことがあるから。』‥けれども、父は、この列車にのった経験はありませんでした。
この事をきっかけに父は旅行中ずっと我儘をいいつづけ、父の病気からくる行動と気付かなかった私と父は喧嘩がたえませんでした。

旅行先のハワイで父が行方不明に

そしてとうとう事件がおこりました!マウイ島のラハイナという観光地で車をおりたくないと言い出した父を車の中に残し街中を少しのつもりで観光しました。
けれども、母が楽しみにしていたラッセンのギャラリーでイルカの版画に魅せられて作品の一つ一つを丁寧に見ているうちに。。つい30分ほどたってしまったでしょうか?車に戻るとクーラーがかかったままの車の中には父はいませんでした。
父はお金も持たずに、海外で迷子になってしまったのです。
天気は晴れており日差しは強く、このまま街をさまよい続けたら熱中症になりかねません。
私達は必死になって周りを探し回りましたが、父はどこにもいません。
杖をついた父はそう遠くには行けないだろうと思いながら家族みんなで手分けをして探しましたが、1時間たっても父は見つかりませんでした。
私達は藁にもすがるような思いで、ラハイナのお土産屋さんやレストランを1件1件回りました。
父のパスポートを見せて、この日本人が杖をついて来なかったか?と聞いて回ったところで、誰も父を見かけた人はいませんでした。
今思えば、父はどちらかと言うと大柄で太っており、白髪の天然パーマで目もクリクリとしていた為、日本人というよりは地元に住んでいる日系2世のような雰囲気でラハイナの風景に埋れてしまっていたかもしれません。

hawaii

父がなかなか見つからないので私達はだんだん焦って来ました。
マウイ島といえ、ここは外国。誘拐等のの事件に巻き込まれないとも言えません。
私達は後悔しました、『何で、父を1人に残してしまったのだろう??!』
父が母を悲しませるような事をいうので、少しだけ父に反省してもらう時間を持ってもらおうと思う気持ちと、父も車の中で待っていたいと言うので、父を1人で残してしまいました。

しかし、父の気持ちを思うと決して車に一人ぼっちで居させてはいけなかったのです。
見知らぬ土地で、いつ帰るかわからない私達を待つのはどんなに寂しくて不安だったでしょう?
病気でたくても耐えられない状況だったに違いありません。まして、今思えば父は脳の病気でした。

結局父はタクシーに乗っているところを地元の方に発見して頂き事なきを得ましたが、父が見つかるまでの4時間の間、私達は万一の事が頭をよぎり気が気ではありませんでした。
見つかった時の父は、事の重大さをわかっておらず、全く悪びれる様子も無く、飄々とした様子でタクシーに乗って帰って来ました。
私は、そんな父を見ながら、怒りつつもホッとして、緊張の糸がプッツリと切れ、子供のようにワンワン泣きじゃくってしまいました。

この後も旅行中は、父の発言で私と喧嘩が絶えませんでしたが、それでも楽しい思い出もその何倍も出来、家族にとってはかけがえのない想い出となりました。
ただ、一つ悔やまれるのは、この時に、私達が父の病気をわかってれば、もっと寛容な気持ちで父と充実した時間を持てたと言うことです。

病気の父を伴っての家族旅行

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私達はこの後、父の病気が進行していく中で、父を故郷の山口県や草津温泉等の4回旅行に連れて行く事ができました。
その頃私は長い間旅行業界で働いていた経験はありましたが、介護の知識は全くありませんでした。
母は父を自分の手で世話をしたいと強く願い、ずっと家で介護していました。
母は父をとてもとても大切にしていましたが、病気の父に暴言を吐かれたり、叩かれたりして、泣きながら介護をしていることもありました。
父の暴言も暴力も全て病気のせいでした。
そんな、母を慰めたくて、又、父の苦しみを和らげたいと思い、夫と相談して旅行をプレゼントしました。
レンタカーで車椅子ごと乗車できる大きめの福祉車両を借り、運転の得意な夫が運転をしてくれました。

父との最後の旅行は胃瘻の手術の前に行った草津温泉でした。
もう父は寝たきりで言葉も話せません。食事も全て細かく刻んで頂き、とろみをつけて母が口まで運びました。
ホテルでは、家族風呂を貸し切り、家族3人でビショビショになりながら寝たきりの父を温泉に入れました。湯船の中では夫が父を抱きかかえて入ってくれました。
父は口をこそきくことも出来ませんでしたが、本当に気持ち良さそうに目を閉じていて、この時の表情を家族みんなでニコニコしながら眺めました。
今となってはこの旅行が家族での最高の想い出になりました。

父の介護を通して気づいたこと

父はその後、体が全く動かなくなり、誤嚥性肺炎を繰り返して亡くなってしまいましたが、最愛の家族に見守られて旅立った父は幸せだったと思います。
私達は、この時の体験を通して、父のように、介護の必要な方とご家族のご旅行のお手伝いをして、かけがえのない想い出を作って頂きたいと考えるようになりました。
世の中には、親御さんを旅行に連れて行ってあげたくても、お仕事などで忙しく男手等の人手が足りず旅行に連れて行ってあげることが出来ない方々も多いのではないかと思ったからです。
そこで、高齢者、要支援、要介護状態の方々をご旅行にお連れするには、旅行の知識だけではなく介護の勉強も大切であると考え、夫婦で介護の学校に通い介護職員の研修を受け試験にも合格致しました。

介護の学校に通い勉強をしてみて強く感じた事は、『無知』で有ることの怖さでした。
私達家族が良かれと思って父にしていた介護が、実は誤嚥性肺炎の原因となっていた。とか、シーツの敷き方一つで褥瘡が出来てしまっていた。とか、数えればきりがありません。
無知であった為に、良かれと思っていたことが全て裏目に出て、父の負担になっていたと言うことで、今、後悔の気持ちで一杯です。

そんな、思いを皆さんにはして頂きたくないと思います。

そして笑顔ツアーの設立へ

正しい知識で正しい介護をすることで、介護を受ける方、介護をする方の両方の負担が減り、気持ちにゆとりが出来、大切なご家族との時間を安らかな気持ちで笑顔で過ごすことができます。
私達は、介護の知識、旅行の知識の両方を併せ持つプロの添乗員として、皆様の大切なご家族のかけがえのない想い出作りのお手伝いをさせて頂きます。
皆さんが笑顔になれるような旅行のお手伝いをさせて頂きたい!
そんな、気持ちをこめてこのツアーを<笑顔ツアー>と名付けました。

是非、<笑顔ツアー>で大切なご家族との貴重な時間をより豊かなものにしませんか?
<笑顔ツアー>はすべてオーダーメードの旅です。細やかなご希望にも添えるように最大限の努力を致します。
ご希望に添ってお見積もりを致しますのでお気軽にお問い合わせ下さい。

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